若い頃の私は、大勢の意見に合わせて生きていました。
会話の中で多少の違和感を覚えても、それを口に出すことはほとんどありませんでした。自分の考えを言って友達に嫌われたくない、周囲から浮きたくない。その気持ちが何よりも強かったからです。
本当は別の意見があっても、笑ってうなずく。そんな場面が何度もありました。
その一方で、「本音を言えない自分は損をしている」と感じてもいました。言いたいことを言える人が、どこかうらやましくもあったのです。自分の個性を殺しているような気がして、もどかしさを抱えていました。
少し大人になり、仕事や家庭で立場がついてきた頃、私はそれまで胸の奥にため込んできた不満を、少しずつ口にするようになりました。日常の中の小さな違和感を、ぽつぽつと主張するようになったのです。すると周囲の人は、「そうですね」と同調してくれることが増えました。自分の意見が受け入れられる経験は、確かに心地よいものでした。
しかし、さらに年を重ね、家族が増えてから、ふと気づいたことがあります。本音を言わずにいたからこそ守れた嫁姑の関係も、飲み込んだ言葉があったから続いてきた夫や子どもとの日常も、確かに存在しているのです。
本音をそのままぶつけることが、必ずしも正解ではなかったのだと思うようになりました。
本音をだだ漏れにして、周囲に気を使わせている自分を「リーダーシップがあってかっこいい」と思っていた時期もありました。でもそれは、少し勘違いだったのかもしれません。
若い頃に我慢しすぎたことは、確かにつらい思い出です。けれど今は、「本音を言えない」のではなく、「あえて言わないでいる」自分でいられています。そしてそれでも、自分自身が穏やかでいられるようになりました。
それはきっと、人生を重ねる中で身についた、私なりの成熟なのだと思っています。
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