長年、一生懸命に物事に向き合ってこられたシニアの世代は、本当に立派です。仕事、子育て、家庭、地域。目の前の責任を果たすため、がむしゃらに走り続けてきた年月があったからこそ、今の穏やかな日常があります。
けれど、こんな気持ちになることはありませんか。
仕事や子育てが終わり、周りを見渡すと、家族は自分を抜きにしても幸せそうで、きちんと自立している。
「ああ、よかった。自分は役割を果たせた」「がんばってきてよかった」
そんな安堵と誇らしさを感じる一方で、胸の奥に、静かな寂しさが広がること。
家族が幸せそうで、自分の果たすべき責任は果たした。
自分が“必要とされる場面”が減り、呼ばれなくても物事が進んでいく。
もう出番はないのかもしれない――そんな感覚が、ふとよぎります。
子どもに家庭ができ、部下に仕事を任せて引退する。
今まで必死に守り、築き、回してきたことを引き継ぎ、次の世代がまたうまく回してくれている。これほど立派なことはありません。
それでも、寂しい。
けれど「寂しい」と口にするのは、家族の幸せを否定するようで、ためらってしまう方も多いでしょう。
これは、静かに見守る時期が来たという合図なのかもしれません。無理に前向きになる必要はなく、この感情を否定せず、そのまま持っていてもいいのです。この寂しさは、責任を果たし、やり遂げた人にしか訪れない、成功の証なのです。
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